かふぇ・あんちょび

かふぇ・あんちょび

このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。

ようこそ かふぇ・あんちょび へ!


・・・とはいえ、まだこのカフェありませんので、

まあ御自分でテキト-に珈琲でも淹れて、

ご自由にくつろいでいってください。

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なんとなく手に取った漫画の中のセリフに、

 

 ボクの書く物語で人のココロを動かしたいんだ!

 

というようなのがあって、私はこういうのがすごく苦手です。

 

何年か前の甲子園の選手宣誓でも似たようなことを言っていて、確か、

 

 観ている人々に感動を与えるプレーをします!

 

というようなので、そうすると私は、ええーそいういうもんなの?? と、なんだかシラケてしまうのです。

 

なんらかのものに触れて結果的にココロが動く ということはありますが、それを狙っての行為は安っぽく醜悪に思います。

 

おきゃくさまに感動を与える

 

とかいうのが最も苦手です。

 

最近こういうの多い と思う私が、世の中に取り残されてるのでしょうけど、感動「してしまう」感覚はわかるけど感動「させよう」とするのはなんか違う。

年齢が上がってきて、トンガっていた頃より多少は丸くなった気もしていましたが、そうでもない部分もたくさんあります。

本屋に行って文庫本を眺めていて、表紙が漫画チックだったり何故かアイドルが載っていたりするとその本ははなから手に取りませんし、漫才のナントカ絶賛!とか帯に書いてあっても同様です。

 

 

 もう旅を終えて随分経ちますが、たまにふと、こま切れの場面場面の記憶が頭をよぎります。

逆に言うと、もはや断片的な記憶しか残っていないのかもしれません。

 

 私がバックパックを背負っていた1990年代は、インターネットはあるところにはあったと思うのですが私などはその存在を知らず、また旅先では普及していなかったと思います。

当然、情報の入手手段が現在と較べ格段に限られていました。

それは、とても幸せなことだったと思います。

 

例えばインドなどで長距離バスに乗って次の町に向かうのですが、バスを降ろされる場所は、日本でいうならば高速のインターチェンジのような、つまりは町はずれの何もないような場所だったりして、さてここは何処なのか、もっと言うと本当に目的の町まで着いているのかも定かではないのです。

一緒に降りた現地の乗客たちに、例えば目的地がカリマバードという町ならば、

カリマバード?カリマバード?

と馬鹿のように町の名前を連呼しながら、その幹線道路から中心部へと接続するオートリキシャやダットサンのような乗合いの交通手段への相乗りに乗り遅れないように必死でついてゆくのです。

 

ああいうのを何年も続けていると、人生いきあたりばったりでどうにでもなる という悪しき悟りが得られます。