かふぇ・あんちょび -3ページ目

かふぇ・あんちょび

このカフェ、未だ現世には存在しません。

現在自家焙煎珈琲工房(ただの家の納屋ですけど…)を営む元バックパッカーが、

その実現化に向け、愛するネコの想い出と共に奔走中です。

日本の春のいいところブログネタ:日本の春のいいところ 参加中


春ですねえ。
日本の春の訪れには、時の区切りというか、万物の再生というか、新しい始まりの気分がありますよね。

冷たく閉塞感のある季節が過ぎて、気分も軽く、次いってみましょうかね!
春めいてきましたね。
年度末や消費増税に伴う諸々も、なんとか乗り越える目処がつきました。
さあ、新しい季節がやってきます。

楽しいことを探していこうっと!
ようやく、自分が自由だという事に気がついた感じです。
まだまだ何でも出来るじゃないか!
いやいや、空っぽの両手こそが素晴らしい!
NHKで、不妊症治療の精子提供によって生まれた40歳の医師が、遺伝上の父親の情報の開示を求めているニュースを聞きました。

私には、この40歳の医師の気持ちが分かるような気がします。

私が、自分の父親と、母親と、「伯母さん」だと教えられていた女性との本当の関係を知ったのは、18歳の時でした。

当事者として言います。
子供の出来ない夫婦は、それを受け入れるべきです。
生まれてきた子は、自分のアイデンティティの根本が不安定で、オレは生まれてきて良かったのだろうか?という十字架を背負わされます。
インドで瞑想のイロハを教わった当初から、自分の心について考えさせられていました。

心は常に木の葉のように揺れ動く

というのを、一番始めに教わったように思います。

無心になろうだとか、心を思い通りに制御しようだとかは、そもそも無理なのだと思います。
ただひたすらに揺れ動くココロを見つめ続け、寄り添ってこそ、ようやく心は鎮まるのでしょう。

しかし、揺れ動く私のココロが感じる違和感が、いつもいつも間違っている訳ではないのですねえ。
最初に感じた違和感、直感、キナ臭さを、理性で必死に抑えつけオトナの振りをしていましたが、結局事態は最初に感じた通りのものだった...という事が、ままあるものだと知りました。

だからこそ、心に寄り添う事が重要なのかもしれませんね。

自分のココロを信じず他人を信じると、他人から裏切られるだけでなく結局は自分を裏切る事になるのだなあ…

ふぅ~む。
まあ馬鹿なんだから、仕方ないかぁ。
あの頃の私の旅は、気に入った街に何日か、あるいは何週間か、まれに何ヶ月か滞在して、踏ん切りがついたら長距離バスの切符を買って、次の町へ向かう...というものでした。
バックパックを背負ってバスターミナルの喧騒に立ち、苦労して切符を買い、ガタガタのバスに乗って乗客達とカタコトや身振りの会話をしながら、次の町に思いを馳せたものです。

ああ、そして今、なんだかそんな気分です。
そう、いつだって自由には一片の寂しさが伴いますが、多くのものから解放された清々しさもありますね。

さあ、新しい年、次なる冒険を始めます。
Travel goes on...
忘れていましたが、僕はとっくの昔にこの道を選んでいたのでした。




Android携帯からの投稿
アンチョビは、ヒトを信じないネコでした。

と前に書いた自分の文章が、胸に沁みます。
心臓に欠陥のあった彼女のように、そしてまたある意味同じ捨てネコである私にもココロに欠陥があり、信じる心が足りないのでしょう。

避妊手術の為に恋の感情を知らず、異種族の私と身を寄せてひっそりと生きたアンチョビでしたが、私も、出逢った頃のあのヒトに
「実は、女性に興味のないゲイだと思ってた」
と言われたあの頃の心持ちで、ひっそりと生きた方がいいのかもしれません。

静かなお正月に、淡々と仕事をしています。


国会中継聴いてます。

TPPについての公約は
「攻めるべきは攻め、守るべきは守る!」

...で、何を守るのか?「聖域」とは何か?

という事についてはもうグダグダで、まともに答えられません。
アンチョビは、私が働いていた喫茶店の裏の、ゴミ箱に捨てられていました。
レジ袋に入れられていたその仔猫は、ガリガリで、いっぱいの目ヤニで両目が開かず、ただ、かすかな体温だけが残っている状態でした。
生ゴミを捨てに来た私が、店のものでない小さなその袋を見つけ、これじゃ契約のゴミ業者が持っていってくれないじゃないか・・・と、おっかなびっくりそのグニャリと生暖かい袋を開けたのでした。
連れて行った獣医さんの、保険の利かない代金がバカ高かったのを憶えています。
そしてその灰色の仔猫は、私がまかないで一番好きだったパスタの具材からアンチョビと名づけられ、私のはじめてのネコとなりました。

アンチョビはその五年後に死ぬのですが、心臓に先天的に欠陥があって、看取ってくれた獣医さんからは「なぜこの状態で5年も生きていられたのかわからない」と言われました。
ひょっとすると、どこかの飼い猫の子どもとして生まれたものの、母親ネコはその障害を本能的に知り育児を放棄したため、飼い主があの店に捨てに来たのかなあとも想像しています。

アンチョビは、ヒトを信じないネコでした。

私は当時小さな借家でネコとふたりの生活をしていて、アンチョビは私が仕事に出かける時に一緒に外に出て、帰ってくるまで外で過ごす、という「半ノラねこ」の生活でした。
そして、わたしが友だちやその頃付き合っていた女性を家に連れてくると、嫌そうな顔をしてゴソゴソとベッドの下にもぐるか窓から外に出るかして、決して私以外に愛想を振りまくことがありませんでした。
特に当時のカノジョとの折り合いが悪く、カノジョもそのうちに一向になつかないアンチョビのことを嫌うようになりました。

家の近所のネコ社会でも、アンチョビの序列は最下層のようで、私が知る限りではトモダチもおらず、ケンカではいつも負けていました。
隣の家の飼い猫の、ちっちゃい毛長ネコの「リリィちゃん」にさえ、窓越しに「フウ~ッ!」と脅されていたのを思い出します。

母親やきょうだいを知らないために「アマ噛み」の加減も知らず、私とじゃれて遊んでいるとそのうちいつもすごいチカラで噛んだり引っ掻いたりするので、私はしょっちゅう手に流血モノの怪我をしていました。

でも、私にだけはココロを開き同居人として認めてくれて、帰宅した時に「アンチョビさ~ん!」と呼ぶと、どこからともなく全速力で駆けてくるあの瞬間、あの毎日の再会の瞬間が、大好きだったなあ・・・。
臨終の直前、麻酔で腰が抜けおしっこを垂らしながら、舌を長くだらんと出しながら、横でボロボロ泣いている私の元へ1センチでも近づこうと這いずって来る最期の姿が忘れられません。

私のことを掛け値なしに一番愛してくれたのは、両親でも今までに付き合った女性の誰でもなく、あのネコのアンチョビだったと確信しています。


今年のアンチョビの命日には、私は私自身の孤独と悩みとを抱えて、海岸線を一日中歩きました。
アンチョビの事を偲びながら歩いたわけではありませんでしたが、なんというか、アンチョビと私は、同じなんじゃないかと思いました。
親にも飼い主にも捨てられた愛を知らぬアンチョビが時折見せていた、
「ワタシは、ここにいてもいいの?」
とでもいうようなその表情を、今でも私がしているんじゃないか…と思うのです。
そして、毎年アンチョビの命日が過ぎると、もの悲しい秋がやって来ます。

アンチョビさん、そっちでは元気にやってますか?
ぼくは、ここにいるよ。