もう旅を終えて随分経ちますが、たまにふと、こま切れの場面場面の記憶が頭をよぎります。
逆に言うと、もはや断片的な記憶しか残っていないのかもしれません。
私がバックパックを背負っていた1990年代は、インターネットはあるところにはあったと思うのですが私などはその存在を知らず、また旅先では普及していなかったと思います。
当然、情報の入手手段が現在と較べ格段に限られていました。
それは、とても幸せなことだったと思います。
例えばインドなどで長距離バスに乗って次の町に向かうのですが、バスを降ろされる場所は、日本でいうならば高速のインターチェンジのような、つまりは町はずれの何もないような場所だったりして、さてここは何処なのか、もっと言うと本当に目的の町まで着いているのかも定かではないのです。
一緒に降りた現地の乗客たちに、例えば目的地がカリマバードという町ならば、
カリマバード?カリマバード?
と馬鹿のように町の名前を連呼しながら、その幹線道路から中心部へと接続するオートリキシャやダットサンのような乗合いの交通手段への相乗りに乗り遅れないように必死でついてゆくのです。
ああいうのを何年も続けていると、人生いきあたりばったりでどうにでもなる という悪しき悟りが得られます。